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マテ茶

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2014-12-3(Wed)

パラグアイからやってきた高校一年生のホセくんが
一週間、家にホームスティしました。
滞在中、食後に何度か作ってくれたマテ茶。

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作り方は、尋常じゃないぐらいたくさんの茶葉を入れて
そこに「ろ過機能付きストロー」をセットし、
お湯や水を入れて出来上がり。
ポイントは、ストローを動かさず、
コップを持って飲むということ。

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この「ろ過機能付きストロー」がすごくよくできている。
日本茶や紅茶のように
液体の中を茶葉が舞っている状態だと、
茶葉は通りぬけてしまうのだろうけど、
大量の茶葉に液体がしみこんでる状態だから、
茶葉は身動きできず液体だけが通ってくる。
ストローを固定したまま、液体だけをすいとっていく感じがおもしろい。
味の方も、苦いけど結構おいしい。

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こちらは、現美でやっていた「驚くべきリアル」にて
展示されていたフェルナンド・サンチェス・カスティーリョの
映像作品「馬に捧げる建築」。

スーツ姿の男が白馬に乗って、
大学の構内を徘徊している。
異物が入り込んだ状況のように見えるけれど、
スペインのフランコ政権時代に作られたこの建物は、
騎馬警官隊がスームズに移動できるように
設計されているとのこと。
権力に対抗する学生達が、
学校内に侵入してきた騎馬警官隊に対して
馬の動きを妨げようと
ビー玉をころがして応戦したという歴史を持っている。

バックさせたてみたり、
廊下でUターンしてみせたり、
男が白馬を操る様子は、
果敢に挑み、それをいとも簡単に
しかも優雅にクリアする姿のようにも見えるし、
異物として扱われていないか入念にチェックしているようにも
当然の権利を主張しているようにも見える。

そして、同じく「驚くべきリアル」で見た
片山薫の映像作品。

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伝統舞踊の踊り手にテクノミュージックに合わせて
無理矢理踊ってもらうという映像。
あっという間に順応して、軽々とステップを踏んで
向こう側に行ったきり戻ってくる気配がないような人もいれば、
曲にのれたかと思うと、次の瞬間のれなかったりと
行ったり来たりしているような人もいれば、
伝統舞踊本来の曲では見事なスッテプを披露して
グループを引っ張って行くような存在だったけれど、
テクノへの切り替えがなかなかできない人もいる。
ある程度時間が経てば
これが答えみたいな形ができて、
それを全員で共有していくことになるのだろうけれど、
まだ、手探りの状況だから
個人差が出てすごくおもしろい。

そして、こちらが、
ホセくんによって作られた異文化交流の状況。
部屋のドアストッパーとして
置かれていたツボにささった傘。

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ウチでは、傘が玄関の段差を越えることは、なかなかない。
長い時間かけて作られ、そして共有されたルールに基づき
その段差を越えるものと越えないものが存在する。
玄関の段差がいわば、ろ過機能を持ち
そこを通りぬけるべきものだけが
家の中に入って来る。
そして、傘は、もちろん越えないもの。

この「ろ過機能付き段差」をいとも簡単にくぐりぬけ、
和室のツボにささる傘を見つけた瞬間、
まだそこに個人差が存在する
あやふやで、手探りな状況に遭遇したような
ワクワクしたような気分になったと同時に
文化も言語も異なる、自らが異物となる状況に
地球の裏側からひとりでやって来た15歳の青年と
その傘が、だぶって見えるようで、
思わず、感動してしまいました。

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magic

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2013-11-2(Sat)

この夏、一ヶ月程姉家族と過ごすことになった。
姉には、6才、8才、14才になる3人の子どもがいる。
幼い子どもとあんなに長い間過ごしたのは初めての経験だった。

あまりに単純で純粋な考え方を目の当たりにして
全く別の生き物と接しているような気分になったり、
何の躊躇もなく楽しい方へと転がっていく姿にハラハラしたり、
その強引さに苦笑したり、笑ったり、怒ったり
本当に忙しい一ヶ月となった。

印象的だったのは、
彼らが、たやすく色々飛び越えてしまうということ。
その辺に落ちている石は月の石へ、
椅子をひっくりかえせば飛行機へ
魔法をかけたように
一瞬にして何か別のモノへと変えてしまう。
そしてこちらも
手を引かれて強引にどこかにつれていかれるように、
その魔法にかかってしまう。

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こちらは5年程前森美術館で見た
アネット・メサジェの「カジノ」。
ここでも、「色々飛び越えて何かにつなげる魔法」に
かけられたことを覚えている。

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奥の部屋から送り込まれる空気によって、
床一面に広げられた赤い布が、
ダイナミックに膨らんだり、しぼんだり、波打ってゆく。
その様をしばらく見ていると、
その大きな装置が
遠くの何かとつながっているように思えてきた。
自分が知っているもの、考えたり感じているものが、
ただの一部でしかなく、その先がある事実を知ったような、
新しい場所に案内されたような、そんな安堵と興奮を覚えた。

小さい頃ひんやりとしたタオルケットの肌触りが好きで、
自分の体温で徐々にそのひんやり感が失われていくと、
ひんやりとした部分を求め手足を移動させていくなんてことをやっていたが、
まさにそこに真新しいタオルケットが一枚丸ごと投げ込まれたような、
いやいや、ひんやりとした真新しいタオルケットが
うず高く積まれている場所に案内されたような気分だった。

そういえば、甥っ子も
タオルケットの肌触りが好きらしい。
だよねぇ。その気持ち分かる分かると思った。
次会う時には、何にそうそうと同調し
何に苦笑して、何にびっくりさせられるのか楽しみだ。



「日常/ワケあり」

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2011-11-30(Wed)

日常/ワケあり
神奈川県民ホールギャラリー

2011.10.18-11.19

http://www.nichijo-wakeari.info/ja/

ニューヨークを拠点に活動している3名の
若手日本人作家による展示「日常/ワケあり」を見に行った。

最初のスペースに展示されていたのは、江口悟さん。

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紙で作られた、柱、つくえ、コップ、時計等々、
様々なモノが点在している。

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機能性、質感、質量感、
そういった情報は根こそぎ削除されている。
そしてその代わりに、不思議な歪みがプラスされている。

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井上ひさしがあるエッセーで、
「パロディが成り立つためには、“正確に”、“歪んでいる”、
という二つの正反対の考え方を
同時に内包していなくてはならない」と書いていた。

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まさにこの二つの正反対の考えが内包された
魅力的に歪んだ世界が広がっていた。

続いて、田口一枝さんのスペース。

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光を反射するという、すごく自然な原理から、
非日常的な空間を作りだしている。
この激しい状態をつくり出し、キープさせている
柱のような、植物のようなものの
機能的な形状も美しい。

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そういえば、その後に行った横浜トリエンナーレで見た
マッシモ・バルトリーニのパイプオルガンの
存在しても、しなくても、
美しい音色には何の影響も出ないという、
オルガンの機能とは全く別の次元で
存在している鉄パイプでできた巨大な装置もすごく魅力的だった。

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そして、一番奥で展示しているのが、播磨みどりさん。

白い紙でできた平面的な家がダイナミックに
展示空間をまっ二つに分断して、外側と内側を作っている。

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家に入って行くとそこはまた外。

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本やインターネットから集めたイメージをつなぎ合わせ
形作られたオブジェ。

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家という一番プライベートな空間の、
更に、奥にある寝室や作業部屋に置かれるパソコン。
僕たちは、家族や友達にも言えないことも、
このパソコンに対してなら、何のためらいもなく、
検索スペースに書き入れてしまう。
そして、そこから、いきなり外部へと繋がっていく。

内部に存在する外部から集め、つなぎあわされた子鹿は、
一体何者なのか。

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以前ニューヨークに行った時に彼女のアトリエに行ったことがある。
僕は作品が生み出されるアトリエという場所に興味がある。
作家が、興味があるもの、ちょっとひっかかったもの
制作途中のもの、ボツになったもの、試行錯誤しているもの
人に見せるということを前提していない様々なものが乱雑に存在している。
作家の内側が、外に少しにじみ出ているようで、
脳の中を覗いているような気になる。

アトリエが持つ、内側と外側の境が曖昧な空気感と同様に
彼女の作品には、
内側にある何かが外側に出てきてしまったような、
違和感と魅力がある。



海老原靖「Ladies & Gentlemen」

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2011-1-25(Tue)

Ladies & Gentlemen

シャトー小金井

2011.1.22-1.30

海老原さんの
グループ展に行きました。

階段を登ると出迎えられるのが
お尻の絵。

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更に階段を登ると。
そこには、たくさんの男たちが。

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中央には、パーティースプレーを
吹き付けられた
パーティーモンスターと題された小さな男。
パーティーモンスターと名付けられたものの
素顔は見せず
人が集まれば姿は見えなくなってしまい、
蹴飛ばされそうな小さな男。

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首の長い男。
この微妙なバランスが、
奇形な作用を生み引きつけられます。

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バナナの前にいて、
こちらを見つめる男。
何か言いたげ。

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愛というより性欲で成り立つ
3人の男性のアクロバチックな関係。
技を決めるがのごとくの
絶妙のバランスを披露している。

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左右対称の二人。
この二人の関係性は分からない。
この後の行動でどちらが受けてに回るのか、
受けては存在するのか。
そういう意味での二人の関係も、
双子のようにも、恋人同士にも見える二人の関係性も。
中に浮いたような、
着地できないような世界観がある。

ふと写真家・鷹野隆大さんの
「男の乗り方」のコンセプト文を思い出した。
(以下抜粋)

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「十年来乗ってきたママチャリをスポーツタイプに乗り換えた。
ぴかぴかのイタリア製高級車だ。
自転車は普段から下駄代わりによく乗る。
ぼくにはもっとも馴れた乗り物だ。
いつもの気安さで近所を走っていた、その時だった。
狭い歩道で向かいを歩く人の背後から急に自転車が飛び出してきた。
とっさにブレーキをかけようとしたが、
握った指は空を切り、ぼくはそのまま電柱に突っ込んだ。
いままでと形状が違うため、
体が記憶している位置にブレーキがなかったのだ。
以来、新しい自転車は普段履きの下駄からよそ行きの革靴になった。
見栄えはいいが、乗るときは緊張を強いられる。
今回はすべて男の写真で構成する。
自分も男だし、馴れたつもりになっていたが、
まだまだ撮り方が足りないことに、ふと気が付いた。」

完璧なまでのバランスをとる
性欲でつながる三人。
首が少し長い男。
バナナの前で何か言いたげな男。
親密な行為に及ぶ関係性が分からない二人。
人が集まれば見えなくなる
顔を隠した小さなパーティーモンスター。

様々な角度で、
見る者のバランス感覚を
微妙に狂わせる
世界が広がっていました。

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そして、その向こうでは
海老原さんが白ブリーフ姿で暗がりの中で1人
ある意味すごく安定したダンスを踊ってみせていました。



和田昌宏「Big Tomorrow」

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2011-1-17(Mon)

和田昌宏
Big Tomorrow
Art Center Ongoing
2011.1.8-1.16

和田昌宏さんの個展を見に行ってきました。

何やら、赤い管が空間を支配しています。

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なんでしょうこれは。

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換気扇もついてますねぇ。

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数日前に行われた
オープニングのパフォーマンス映像が
このトンネルの中で流れています。

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見ている状況もあいまって、
すごく求心力を感じる映像です。

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そしてこれ。
オープニングのパフォーマンスで、
宝くじを食べて出したうんち。

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ほんの小指ほどの、かわいらしいボリュームですけど、
これが、まさにこのインスタレーションのラストピース。
この奇妙な装置が、命を吹込まれたかのように、動き出したのでしょう。

宝くじを食べて出したうんち。
そう聞いた途端に
ただのうんちに見えなくなるから不思議。

うんちの姿、形をした
何だろう。
希望?マイホーム?

魔法でカエルに変えられた王子はいるけど
さすがにうんちにされたって話は
聞いたことがない。

さすがに、うんちだと
どうにもこうにも救いがたい感じです。

元の姿に戻ることのないうんちは、
ただただそこにいるだけ。

ただ、放つ微量ながらの香りは、
逆戻りで元の姿に戻ることを期待してなのか、
更に進んで、更なる変身を期待してるのか、
はたまた、自身にとっての金塊を求めているのか、
魔法のトンネルをゆらゆら漂っている。

ゆらゆらゆら。

こうして、真っ赤な管で支配された空間は、
奇妙なお話が繰り広げられていく童話の舞台装置へと
僕の頭の中で変化していきました。

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海老原靖 play

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2010-7-6(Tue)

海老原靖
play
2010.0702-0717
wada fine arts

海老原さんの個展play。

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今まで見てきた
NoiseシリーズやLustシリーズといった油絵とは、
ひと味違う今回の展示。

本人曰く
「恥ずかしい事をやってみる
ということを今回の展示の目的のひとつとしている」

入ると一番先に目に入るのが、この油絵。
ブリーフ姿の男が放つ色。

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そして、その反対側では、
ブリーフ1枚の海老原さんが
ちょっとだぼついた肉体をさらけだし
ノリノリに踊ってました。

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「ブリーフは恥ずかしさの象徴」とも言っていた。

そう、まさしく今回のテーマはブリーフだと思った。

誰もが小さい頃は着ていた白いブリーフ。
小学生時、体操着に着替え中に見えた
男子の下着は、白ブリーフ率100%だった。
そして、思春期を迎え、
初体験をすました人がちらほら出て来るように、
チェック柄のトランクスやら、
色付きのブリーフやら、
色気づいてくる。

そして、ほぼ全員の下着が
花が咲いたように色づくなか、
残った最後の白ブリーフは、
真っ白な輝きを放つ。

まだ、親にパンツを買ってもらっているチェリーボーイ。
白ブリーフには、そんな恥ずかしいイメージもあるけど、
そこには、まだ見ぬ未来への可能性も感じる。

そして、そんなブリーフ1枚で
はっちゃけているダンシング海老原さんと
パワーみなぎる青年の間でひっそりと
たたずんていたのが、この立体。

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まだ白ブリーフの
恥ずかしさだけしか知らず、
輝きを知らないかのように、
ひっそりと佇んでいる。

ズボンは脱いだところなのか、
これからはくのところなのか、
そこに、自分の意思が働いているのか。
メッセージ性のあるT-シャツも
そのメッセージを込めて着ているのか、
ただ着ているのか。
ぼんやりとした色使いとともに、
ただ、遠くを見つめている、色々ぼやけた存在。

「恥ずかしいこと」と「新しい可能性」そんな
ふたつの事柄が白ブリーフのように
共存している展示だと思いました。
これから、この立体の青年が、そして海老原さんが
どういうパワーを放出していくのか楽しみです。



松丸本舗

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2010-1-14(Thu)

今日、手帳を買いに丸の内にある丸善に行きました。

文具売り場のある4階に、なんだかおもしろそうなエリアが。
一歩足を踏み入れただけで感じる違和感。

本の上に本が重なっていたり、
横になって積み上がっていたり、
中には漫画も混じってたり。

普通の本屋さんが、
「お隣さんとは、まぁ会えば挨拶はする程度です」って
住民が語る都会の高層マンションだったら、
ここは、プライバシーも何もなく、
自分自身を全面的に公開し、
積極的に他人と交流を図ろうとする
実験的集合住宅。

でもなぁ、実際住むんだったら、
高層マンションかなぁなんて、
思いながら店内をまわってみました。

この特注の棚が一段と
雑然さを際立たせています。

それにしても、雑然とした感じって
なんてビジュアル的にも魅力的なんだろう。

そうだ和田ちゃんの作品だ!!

彼の作品も様々な要素が
お互いに積極的に混じり合っている。
積極的に混じっていかないと
混じることはなかった要素。
過去の伝説とか、異国の地の不思議な文化だったり。
様々なものが、つながって
ひとつの奇妙で、魅力的な塊を形作っている。

ただいま制作中の次号WHOで特集する和田さんとの
つながりをみつけ、
そうだそうだ、つながったつながったと、
そこに気付いた自分に感心しつつ、
さらに歩いて回ると店舗のチラシを発見。
なるほど、この松丸本舗は、作家松岡正剛さんと
丸善のコラボーレションで作られたらしい。

お!
松岡さんと言えば、
WHOのvol.04で特集した原さんが、好きな本を紹介する頁で、
「分からないことって、以外にそんなにないのかもしれないと
感じさせてくれた人」と言っていた人。
俄然、友達に借りっ放しだった、
松岡さんの「フラジャイル」を読む気になりました。
結局欲しい手帳は見つけられなかったけど、
いい場所を発見したとかなりテンション高めで帰っていきました。
(杉原)

www.matsumaru-hompo.jp/

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石田徹也+原高史+海老原靖「Lifestyle Neo Japanesque」

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2009-11-22(Sun)

石田徹也+原高史+海老原靖
Lifestyle Neo Japanesque
The Yi&C. and Y++/Wada Fine Arts
2009.11.14-12.13
Yi&C. Contemporary Art


台湾は台北にあるインテリアショップ「Yi&C. Contemporary Art」で行われた石田さん、原さんと海老原さんの3人による展示。台北の中心地に位置するYi&C.。1階には原さんのインスタレーション作品が展示。初めて見た原さんの立体は黒くてマットな質感を持ち、まるで現実と絵の間に存在し、二つをリンクする「影」のよう。地下1階は、部屋をイメージしたいくつかの空間に仕切られていて、そこに3人あわせて50点程の作品が展示されるというボリュームたっぷりの展示。ベッドやソファ越しに見る絵は、ものによってはホワイトキューブで見る時以上に空間にはまって見えたり、より空間がしまって見えたりと、いつもとはひと味違った見え方を楽しむことができました。中でもベッドの上に飾られた、寝そべるマリリン・モンローをモチーフにした海老原さんの作品は、すごくベッドルームにはまってました。そして、最後に行き着く一番奥まった部屋には、石田さんの作品が。まさに彼の奥まった部分を直に見ているようでした。

原さんと海老原さんに、今回の展示について聞いてみました。インテリアショップでの展示ということで、当初原さんは、展示にあまり乗り気ではなかったそう。でも実際に展示してみると、予想していたよりも作品と家具との相性もよく、作品の説明に対しての台湾人のリアクションも今までにないものがあってよかったとのこと。海老原さんにとっても、今までの作品を同時に見る事ができて、原さんや石田さんと同じ空間で展示することができて、今までとは違った形で社会とのつながりの場を持てたという。なるほどアトリエにこもって作品を作り続ける作家にとっては、展示の場が社会とのつながる唯一の場所と言ってもいいのかもしれない。だからこそ、その場では、見る人の反応であったり、自分の作品を客観的に見たり、作品を見る人以上に作家は毎回色々なことを感じているのでしょう。作品を通じて、社会とのつながりを持てることも美術の魅力のひとつだと感じました。(杉原)

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北村バンビ「日本の風景、心の故郷」

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2009-8-5(Wed)

北村バンビ
日本の風景、心の故郷
2009.7.25-8.8
Gallery Countach

バンビさんの作品を見るのは今回が二回目。前回は見たのは、昔のプロレスラーをモチーフにしたロウの作品。ほのかに醜くく太ったプロレスラーの裸体を感じることができる半透明のロウが、すごくポップで、すごくセンスがいいなぁと思っていました。

今回の展示は、文化祭のお化け屋敷を思わせる黒いビニールシートで覆われた暗い空間に、ペインティングやら映像やらオブジェやら。今回も表面に出てきているものだけを見るとすごくキャッチー。でも話を聞くと、なんだかすごく切ない気分に。

例えば、キャラクターのシルエットのように見えた映像は、実は、肌に押し付けてできた跡が徐々に消えていくさまで、そのBGMには爆発したスペースシャトル「チャレンジャー号」の打上時の管制塔内でのやりとりが使われていたり、マイケル・ジャクソンのきらきらと輝く衣装だけが切り取られ無音の暗闇の中で踊り続けていたり。かわいいビジュアルがより切なさを助長させます。

センスの良さはもちろん、ぱっと見の印象と、のちのち感じる印象の大きな違いもバンビさんの作品の大きな魅力の一つだなぁと感じました。(杉原)

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土屋貴哉「マイナーチェンジ」

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2009-6-18(Thu)

土屋貴哉
マイナーチェンジ
2009.6.18-6.28
switch point

土屋さんの個展に行きました。パソコンのデスクトップを利用した新シリーズの作品や、縮尺1/3500地図を原寸大まで拡大したという色鮮やかな作品の中、一番目を引いたのが「It’s a small world」というタイトルの、ひたすら二人の人がマトリョーシカを重ね続ける映像作品。

マトリョーシカが一つにまとめられたり、またバラバラになったり。二人が、お互いの動きを牽制しあいつつ、次の動きを考えつつ、短い時間に色々判断して精一杯動かしている感じが見ていて楽しい。旅先の道ばたで地元の人が白熱する見たこともないゲームから、しばらく目を離せない感じ。ただこの映像の場合は、多分、ルールなんてものは存在せず、本当に適当な感じでマトリョーシカを重ねてるだけなのに、どうなったらポイントが入って、どういう動きがいい動きで、どういったのが悪い動きなのか、ついつい考えてしまった。

土屋さんに話を聞いてみる。当たり前だけどマトリョーシカは、自分より小さい器には重なることができるが、逆に自分より大きな器には重ねられてしまう。小さいものは大きいものに含まれ、そして時には、大きいものから小さいものが生み出される。なるほど、そう言われてみると、すごく原理的なことがルールとしてぼんやり見えてきたような。なんだか急に目の前で行われているゲームが、思っていたよりもずっと過酷で残酷で壮大なゲームに見えてきました。(杉原)

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editor profile

杉原洲志 Shuji Sugihara
1976年生神奈川生まれ。
WHO編集長/アートディレクター

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