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BOOKS:魔の山

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2014-1-19(Sun)

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物語の舞台は、アルプス山脈にあるサナトリウム。
時は、第一次大戦前、世界各国から裕福な患者が
療養のために、そこに集まっている。
ベランダ付きの個室があって、しかも一日5回の豪華な食事付。
一日中ベッドの中で過ごす重症患者以外は、
大きな食堂に集まり、そこでご飯を食べ、
その後散歩し、そしてベランダにある長椅子に横になる、
そうするとまた、食事の合図があって、という具合。

風邪をひいて会社や学校を休んだ時の
あの昼間から寝てる事が正当化されたような
解放感をよく覚えている。
それでも、2日目の夕方ぐらいからは、
もう十分よくなって、
何となく居心地の悪い気分になってくる。

もちろんサナトリウムで暮らす患者の病気は
そんなに簡単に治るものではないし、
彼らには、十分財産があるから、働く必要もない。
下の世界の社会的な義務や責任から解放された
まさに放りだされた状態。
摩擦がいっさいない無重力状態のよう。
風邪での病欠なんかとは比べようもないくらいに
時間がありあまっているこの状況がおもしろい。

そこでは、独特の価値観や習慣が養生されている。
患者たちにとっては、
ベランダでの横臥療法の際、毛布を体にまきつける手順や
日に何度も計る自分の体温こそが重要で、
下の生活はどこか冷酷で愚かにも感じている。
療養中の従兄をお見舞いにきた主人公のハンス・カストルプが
その独特の価値観や習慣に驚き、時に小馬鹿にしつつも、
次第に、魔の山の魅力にとりつかれていく様、
傍観者から当事者へと変貌していく様はとても興味深い。

患者たちが夢中になる色々な流行もおもしろい。
例えば、目隠しして絵を描くことが流行ったり、切手集めが流行ったり、
写真撮影が流行っていた頃には、
自分の部屋を暗室にする者が出てくるぐらいの熱の入れよう。
あらゆる種類のチョコレートを積み上げておいて
それをむさぼり食べることが流行ったりもする。
多分チョコレートの山は次第に高くなっていったのだろう。

どんどんどんどん。
何も止めるものはないのだから。
でも、いずれその熱も冷めてしまうのだろう。
チョコレートを積み上げることが
食べる寝るぐらい日常化されてしまうと、
いつもとは違う何かを求める。

下の時間から解放されたことを喜び
無重力状態を謳歌しつつも、
引っかかる何か、どこかにつながっている何か
にどうしようもなく憧れる様は
どこかユーモラスで不思議な魅力があった。

患者の一人が「くしゃみ」に対してこんなことを言っていた。
「うっとりとした顔で息を二度三度あらあらしく吐いては吸い、
ついに観念の眼を恍惚として閉じて甘美な爆発に全世界を忘れる快感。
しかも、それはしばしば二、三度つづけざまに訪れてくれるのである」

また違う患者は、音楽のことを
「あっという間にまわりの混沌の中に消えてしまわないように守られていて、
時間を分割し、内容をもたせ、満たしいつも何かがはじまっているようにする。」

と言っていた。

くしゃみをまるで、
たまに訪れる魅力的な来客かのように感じるなんて
まさに、この状況下ならではの話。
それでも、どこかすっと入ってくるものがある。
1900年代初めのヨーロッパにある豪勢なサナトリウムという
時間的にも距離的にも経済的にも遠く離れた世界の話には、
ふと置いていかれることや、難解な部分も多々あったが、
ぐぐっとその距離を縮めてくる瞬間もちりばめられていた。
その、いつもとは違う何かに
つながっていく気持ちよさに見事にやられました。



MOVIES:橋口亮輔02

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2011-8-16(Tue)

橋口亮輔監督の映画の魅力の一つ、
嫌な感じの人たちの続き。

「ぐるりのこと」に出てくる
木村多江演じる翔子の職場の後輩男子は、
翔子との仕事上の言い争いで、
全く同じことを全く同じ調子でくり返す。
翔子はどうにか理解してもらおうと説明し続けるのだけれども、
何も変わらないし、変わろうという気がはなからない。
全く同じことを全く同じ調子でくり返す。
自分もたまに口喧嘩で、この手を使うことがあるが、
はたから見るとこんなにも嫌な感じだとは知らなかった。

何人かの感じの悪い人たちを挙げてきたけど、
やはりダントツ嫌な感じなのは、
「ハッシュ」に出てくる勝裕の義理の姉。
秋野暢子の筋肉質で硬い表情から
「一杯だけや」と言って小さなグラスに注がれたビールを一気に飲み干す姿から、
勝裕から受け取ったタオルケットをたたみ直す姿から
すべての佇まいに、
抑圧された生活によって蓄積された静かな怒りのようなものがにじみ出ている。
そりゃあ、好き勝手に東京で暮らしているように見える義理の弟達の
結婚せずに、ただ子どもを作りたいという話に対して、
「あかん、わからへん。」と言うのも分かる。
それはそうだろう。
絶対分かりあえることはできないと思う。
分かり合えるとしたも、何年後かにできるかどうか。

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橋口亮輔監督の映画には、
自分ではどうすることもできないことが多々起こる。
絶対に分かりあえない人たちとの衝突。
大切な人の死。
絶対に成就することのない恋。
主人公達は、答えがなかなか見つからない、
不安定で不確実で曖昧な状態に陥る。
そして、そこから、ゆっくりと自分達なりの答えを出して行く。
そのプロセスが本当に丁寧に描かれている。
だからこそ、終盤で見せる彼らの
すがすがしい表情は見ているだけで心を動かされる。

橋口亮輔監督の映画の中で
一番好きなシーンはハッシュの冒頭のシーン。
会ったその日に一夜と共にした勝裕と直也が
次の日の朝「あれ…」「どした?」「くつしたが…」なんて会話を
部屋越しにしながら直也がコーヒーを作っている。
すすがれたお湯は、フィルターを一杯にし、そしてコーヒーがあふれ出す。
不安定で不確実で曖昧だが、
可能性あふれる世界へとスタートを切ったような
期待感いっぱいのシーン。

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MOVIES:橋口亮輔01

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2011-8-11(Thu)

橋口亮輔監督の映画のどういう所が好きかというと、
色々あるけれど、個性豊かなキャラクターたちが出てくるところもそのひとつ。
特にちょっと嫌な感じのする人たち。

例えば、「ハッシュ」でつぐみが演じた
田辺誠一演じる勝裕を執拗に追いかけまわす永田さん。
彼女は周りの景色なんか見えないくらいの猛スピードで一人大疾走する。
「私、左足の方が少しだけ短いんです」と言って、
急に裸足になってころびそうなほど、よたよたしながら
勝裕の方に向かって歩くシーンには見てるこっちが唖然とした。
そんなアピールの仕方ってありなの?!
そして、この足の長さが少し違うという告白に対して、
別にいいんじゃないという勝裕の言葉は、
永田さんの中ではものすごいスピードで転換され、
結婚OKということになってしまう。
最後までそんな調子で突っ走る永田さんを見ていると
猛スピードで走るマラソンランナーを見ているような気になる。
チャンネル変えて、また戻ってきたら
ウソ、すごいまだ走ってるといった感じ。
とにかく彼女は全然めげない。
誰に何と言われようとゴールを目指すのだ。
しかも、レース途中に突然靴を脱いで裸足で走り続ける永田さん。
走れば走るほど痛々しくみえる。

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そういえば、松岡錠司監督の「歓喜の歌」で
根岸季衣がひきこもりの息子のために
モノにあたるかのように超高速で焼きそばを作るシーンはすごかった。
ものすごいスピードで、野菜をきざみ、炒め、味つけをしていく。

「ハッシュ」に出てくる高橋和也演じる直也が勤める
ペットショップの同僚もなかなかの速さの持ち主。
色々愚痴を言いながら、ドックフードをお皿に分けていく。
初めての時には、あれ、ちょっと多すぎたかな、こんなもんかな、なんて
色々考えながら慎重かつ丁寧にやったろうに。
いつしか、そこから慎重丁寧はそっくりそのままなくなり
代わりに一刻も早く終わらせたい感のあるスピードが出てくる。
さらに、何も考えずに勝手に手が動くというレベルに達すると
始終口では、愚痴をいいながらもいつものスピードを維持できてしまう。

この速いっていうのは、時として感じがすごく悪い。
あの素早さで生き抜いてきたのは分かるが
ゴキブリだってあんなに速く動かなかったらもうちょと
まともな扱いを受けているはず。
そういえば、一回グレープフルーツを半分に切ったにものに
頭をつっこんでいるゴキブリを見たことがある。
いつもは、こっちの動きを早々に察知し、
あっという間にどこかに消えていくのに、
近寄っても全然気づかないで、夢中でグレープフルーツの中に
頭をつっこみ続けている。
なんかちょっとかわいいとさえ思ってしまった。
と、同時に人はつくづく
ギャップに弱いんだなぁと思う。
そんなギャップという
恋愛においての必勝テクにも目をくれず
一つの方向に大疾走する人たちはやっぱりおもしろい。

次回に続く。



BOOKS:伊丹十三

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2011-6-16(Thu)


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日本世間噺大系(文春文庫)

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再び女たちよ(文春文庫)

「浅ましいと思われるほどの素早さで、
折り詰めの包み紙をベリベリと引きはがし
えいとばかりに蓋をとった。」

「自分のような日頃健康なものにとって
風邪のひき始めというのは、
なにがなし物珍しく甘美なものである。
思いっきり世の中に甘えてみたいような、
また、それがいかにも当然であるかのような
甘酸っぱい心持ちがする。」

浅ましいと思われるほどの素早さ。
なにがなし物珍しく甘美なものである。
この仰々しくって堂々とした文体がツボです。

「積極的な好みと、消極的な好みがあるように思う。
『美は嫌悪の集積である』というヴォルテールの言葉が
説明しているように、ある人の場合、
否定的な形で好みというものが形成される」

「T.S.エリオットの詩の一節に
The naming of cats is a difficult matter というのがある。
つまり猫に名前をつけるのは難しい事柄です。
というのであるが、こういう平凡な事実を発見するのは、
なかなか難しく、また平凡なことであると思う。」

ほぉなるほど、と思う話から、
タクシーの道順の話とか、
野球の隠し球の話とか
どうでもいい話まで、
すべてにおいて一貫して哲学、思想を持っている。
そこがすごくおもしろい。

「その時味わった大きな安堵は、はっきりと憶えている。
それはいわば種族としての人類の脈々たる
歴史の大いなる流れに組み入れられた安心感とでも
いうべきものであったろう。」

初体験の話でも
堂々と仰々しく。



BOOKS:藤田紘一郎

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2011-2-1(Tue)

先日、WHOの対談でお会いしました
寄生虫博士こと藤田先生著者の本を
何点が紹介します。

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「笑うカイチュウ」(講談社文庫)
外国に行ってはウンコをせっせと集める姿に笑い、
(500種類以上のウンコを持って帰る時も)

体内という制限された環境に生きるサナダ虫の適応変化に驚き、
(閉鎖された環境では子どもを新しい宿主へ到着させることが
困難なため生殖器官だけを異常に発達させて、
1日に20万個の卵を2年間にわたり毎日生み続けるそうです)

「人と寄生虫の関係は人間が考える以上に巧妙で、
一方の理論で相手をばっさり退治することの反作用が
いかに大きなものかも教えてくれる。」
という言葉に考えさせられました。

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「がんばれ精子」(宝島社)
東京スポーツ新聞に掲載された
世の男性を鼓舞する性応援コラム。
知らず知らずに性の知識もついてきます。
(バイアグラが直接海綿体の血管に作用するのに対し、
武田製薬が対抗品として作った「塩酸アポモルフィン」は
脳内で勃起の信号を送る働きをするドーパミンの分泌を促すそうです)
プラスあっちこっちに、ちりばめられた先生のダジャレも楽しめますよ。

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「寄生虫博士のおさらい生物学」(講談社+α文庫)
なぜなぜなぜ?
物事を掘り下げていくその姿勢にまず感服です。

「なぜ生物は原核生物と真核生物とに分かれて存在するのだろうか」
「菌界の生物はなぜ別扱いされているのだろうか」
「では細胞膜はどのようにして自分のほしいものだけをとり入れているのか」
「なぜ、ラン藻が陸に上がらず海の中で進化したのか」
「なぜ、カッコウは托卵の道を選んだのだろうか」

掘り下げれば掘り下げるほど新たな疑問が見えてくる。

自分の知らない所で、滞り無く行われている様々な動きは、
純粋にすごいなぁと思ってしまう。

物事を掘り下げていくその姿勢と共に
きめ細やかな細胞の働きにも感服です。



         

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杉原洲志 Shuji Sugihara
1976年生神奈川生まれ。
WHO編集長/アートディレクター

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