WHO取材記 黒沼真由美 VOL.05
2011-1-10(Mon)
次号のWHOで特集するのは、くろちゃんこと黒沼真由美さん。
今回は対談です。
WHOでは、特集作家の作品を
キュレーターや批評家といった美術関係者が
どう見ているのか話を聞くべく、
毎号、作家と交流のある美術関係者との対談を行ってきました。
くろちゃんの対談相手は、AITのディレクター、インディペンデント・キュレーターの
ロジャー・マクドナルドさん。
前回の和田さん、前々回の原さんと
今回で3回連続の登場で、すっかりおなじみです。
二人の出会いから始まり、
くろちゃんが持つ人間中心的でない目線、
人間の領域ではない所に対する興味から
日本の美術の中での位置まで、
興味深い話が続きました。
特に印象に残ったのは、
ロジャーさんの
「僕から見るとマユミがやってきたことの裏にはストーリー、
哲学のようなものがゆるやかにある。」という話。
取材を重ねる度に、黒沼さんの作品の裏には、
長い時間かけて凝縮された何かがあると感じていました。
「ゆるやかな哲学が流れている」という表現はすごく納得。
美術の世界だけにとどまらず、
様々なものとリンクさせて
作品にへアプローチしていくロジャーさんの話は、
聞いていてとても楽しい。
作品に対する入口を本当にたくさん知っている。
原さんとの対談時には、
人々との会話から言葉を拾い出し、
絵と共に建物の窓から発信するという原さんの作品に対して、
どんどんと隠されていく個人の声や記憶を呼び起こす
考古学的な要素があると。
そして、和田さんとの対談時には、
クリスマスライト、手彫りの熊、チラシといった、
どこにでもあるようなものを組み合わせる和田さんの作品を、
様々なプロセスを経て物質をトランスフォームさせ
何か価値のあるものを生み出そうとする錬金術ようだと。
「考古学的」、「錬金術」
こういったキーワードが入口になって作品を見ると
今までとは、また違う魅力を発見できる。
入る入口によって全く違う印象をうけるところも
美術のおもしろさだと思う。
かわいらしく見えていたものが、
おそろしく残酷なものに見えたり、
すごく政治色の強いものに見えたり。
作家が意図していないような入口があってもいいのでしょう。
WHOも作品に対して、新たな入口を
提示できるような存在でありたいです。
コメント
TrackBack URL : http://artbookwho.com/modules/wordpress/wp-trackback.php/27
この投稿には、まだコメントが付いていません
コメントの投稿
ごめんなさい、現在コメントを付けることは出来ません