WHO取材記 江口悟 VOL.03
2012-3-23(Fri)
今度のWHOで特集するのは、江口悟さん。
身の回りにあるモノに歪みを与え、立体化させた作品。
この作品を作るきっかけになったのは、
2007年にニューヨークの
Japan Societyで展示をしたstudioだという。
「未完成というものに興味がある。
制作途中のモノを見ていると、
自分は一体何をやっているんだろうって思う瞬間がある。
ドローイングだったり、変なオブジェだったり
作品になる前のモノが色々あるスタジオ自体を見せる事で、
そういう瞬間を客観的に見ることができるんじゃないかなって考えていた。」
このアイデアが発展し、studioが完成した。
江口さんの作品の
根底には、自分の視点を他の視点から見たいという欲求がある。
自分の手で自分の手をにぎるという行為を、
フランスの哲学者メルロ・ポンティは、
触る者と触れられる者を同時に体験できる行為と言った。
にぎる側とにぎられる側の
二つの間で意識がいったりきたりできる
意識の所在が流動的で、あやふやな状態。
未完成という、
自分のものになりきっていいない状態下においても
意識や視点は、ふっと移ろいやすいのかもしれない。
好きな映画の一本にあげたシャイニング。
冬の間、豪雪によって外部とは
完全に隔離されるホテルが舞台。
中でも特に好きなシーンがここだと言う。
管理人として住み込み始めたジャックが
巨大な迷路の模型をのぞいている。
カメラアングルが俯瞰となり、
よっていくと、
妻のウェンディと息子のダニーが見えてくる。
そして、二人が楽しそうに歩く場面に切り替わる。
どちらにも固定されてない視点が、
二つの場面の間に存在する。
タイトルになっている、
シャイニングとは、
特殊な能力という意味らしい。
パンをトーストしたら匂いが残るように
どんな行為にも痕が残る。
遠い昔の痕や、未来の痕といった
人には見えない痕を見ることができる力を
コックのハロランとダニーは持っている。
確かにどんな行為にも痕は残る。
寝た痕のようにくり返されて深くなる痕や、
食べた痕のように、ふきんで拭かれ一瞬で消える痕もある。
ただ、パンの粉は無くなるが、今度は拭いた痕が残る。
ケンカした勢いで破れたふすまや、
壁に投げつけて壊れたケータイなんかは
怒りにかられた自分自身を見ているようで、
ついそこから目をそらしたくなるような痕だ。
こちらは、写真の作品。
レストランの名前、ストリートの名前、
メニュー、様々なモノが切り取られ、
どこでもない場所が生まれる。
江口さんが日常につける痕は、
何かが足されると同時に削られて、
何かが削られると同時に足されてできたような
何とも魅力的な痕だ。
取材が終わり、日もすっかり落ちて暗くなった屋上へ案内された。
日常になりかけていたマンハッタンは
川ひとつ挟んだブルックリンの屋上から見ると
全く違う顔をしていた。
そして、お腹もすいたのでタイ料理屋へ。
もちろん、ここでも、江口さんは、
その魚料理がおいしそうでね何ですか?から始まり
近くのおいしいレストランの話まで
隣の席の人との情報交換に余念がない。
江口さんの食に関する情報は、足される一方だ。
これがめちゃめちゃおいしかった。
甘辛い味。
これがその魚料理。
画像江口さんの料理ブログより。
http://www.satorueguchi.com/food-blog/
料理ブログと写真ブログで、
江口さんの動向をうかがいつつ、
次回取材できる日を楽しみにしております。