WHO取材記 大垣美穂子 VOL.04
次号のWHOで特集するのは、大垣美穂子さん。
MORI YU Galleryで行われている美穂子さんの
個展ミルキーウェイ〜ドローイング〜を見にいった。
ミルキーウェイシリーズの立体作品と同様に、
集積し、結晶化された時間を目の前に見せてくれるドローイングの数々。
集積された時間が一斉に輝きだす印象を受ける立体作品と異なり、
ドローイングは、集積された時間が
じわじわと広がって行くという印象を受ける。
どの点から始めて、どの点で終わったんだろう?
どうして、そこで終わったんだろう?
なんて所が気になったりする。
そこには、時間的順序が存在している。
木の年輪や、積もってゆく雪のように
内から外へ、下から上へ。
古いもと新しいものとが混在し、
時間の層が存在していることに気づく。
無意識においては時間が存在しないことをフロイドは発見した。
無意識にはいっさい、矛盾がなく、抑圧がなく、
すべては可能であり、空間の障壁も存在しないという。
われわれが生まれてから何年かの幼児期の記憶を欠いているのは、
脳組織が生理学的に未成熟で、記憶機能がまた充分発達していなかったためではなく、
それが抑圧を知らなかった時期だからであると思う。
裸でいることを恥ずかしがりはじめたとき、
すなわち抑圧を知ったとき、
個人の過去が記憶されはじめたのである。
またエデン園を追われて人類の歴史がはじまったのである。
※岸田秀「ものぐさ精神分析」より
人間の行為には、必ず始まりと終わりがある。
時間というものから解放されることはないのだろう。
だからこそ、エデンの園に憧れるように、
永遠の無意識に憧れ、惹き付けられるのだろう。
美穂子さんのドローイングにも、
無意識というものに対する憧れを感じる。
でも、そこには無意識を意識する意識だったり、
あえて意識してみたり、
手が痛くなってきたりと
様々な意識が働いている。
壁に描かれた星の運行図は、
美穂子さんを学生時代から惹き付けている
いわば、彼女のベースとなっている模様。
過去の作品にもたびたび出てきていて、
これが出てくると作品がまとまるという。
人間の意識を越えた所に存在していながらも、
あたかも誰かの意識が働いているかのような、
きれいな円を星は描く。
美穂子さんのドローイング同様、
意識と無意識の間を行き来しながら作られた
時間の層を見ているようだ。
今彼女が興味を持っているのは即身仏。
瞑想状態のまま絶命するという
決して、想像も、共有もすることができない時間が、
どう作品化されるのか、楽しみです。