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WHO取材記 佐藤雅晴 VOL.01

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2013-7-9(Tue)

WHO取材記 佐藤雅晴 VOL.01

アートペーパーWHOvol.01で特集した佐藤雅晴さん。

アニメーションの手法を使い
現代美術作品を発表する佐藤雅晴さんの
映像作品を初めて見たのは、
2009年の岡本太郎現代芸術賞展で
展示された「Avatar11」でした。

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横一列に並んだ11つのモニターに映されていたのは
人が振り向くというアニメショーン。

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中でも、車の運転席から後部座席に振り向くように
こちらに顔をむけるドイツ人男性が印象的。
「どこに行こうか」「着きましたよ」といった感じで
タクシーや知人の車等でよくある
シチュエーションだからかもしれない。

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ちょっと悲しげな表情で、何か言いづらそうな感じも気になる。
聞けば、モデルは佐藤さんがドイツに滞在していた時の知人で、
クラシックカーの愛好家だと言う。
何か言いたげにゆっくりと振り向かれると
「汚してないですっ」という気分にもなる。
そして、用が終わったかのようにまた前を向く。
それを永遠繰り返す。

ストーリーが展開していくにつれて、
登場人物に対して、感情移入できたり、愛着を感じるアニメーションと異なり、
佐藤さんのアニメーションは、
長い間その前ですごせばすごすほど、
逆に主人公たちの人間くささが失われていく。

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」で、
兄弟の父であるフョードル・カラマーゾフが
物語の冒頭、こんなことを言っていた。
「どこかのフランス人が地獄のことをそんなふうに書いていたっけ。
(わたしはブラシの影で馬車の影を磨く御者の影を見た)とかな。」

影の主であるブラシや馬車や人を完全に無視した
この表現がすごく印象的だった。
よく知っているモノの存在がいきなり排除されたような、
一部だけ見てそこが世界のすべてであると言っているかのような、
何か得体の知れない居心地の悪さがあった。

佐藤さんのアニメーション作品に対しても
同じような居心地の悪さを感じる時がある。
現実の風景と見間違う程に精巧にトレースされた世界が
プチンっとつなぐ糸が切れたかのように
ある瞬間何ものにも従属しない世界へと変わる。
知っているものが、知らないものへ、
理解していたものが、理解できないものへと。

さらに居心地を悪くさせるのが、
「Avatar11」の11という数。
11人がランダムにこちらに振り向いてくるという状況にいると
どうしても見ているという感覚よりも
見られているという感覚の方が強くなる。
しかも、彼らの視線が何を求めているのか
全く検討もつかない。

私たちがモノを見る時の
その対象物を
理解しようと、所有しようとする視線を
見事にはねかえして、
逆にどこに答えがあるかさえ分からない疑問を
投げかけてくるのです。


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杉原洲志 Shuji Sugihara
1976年生神奈川生まれ。
WHO編集長/アートディレクター

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